アンディー・ウォーホリック日記      アンディ・ウォーホリック日記
〜ウォーホル日記から29年。 maki arata の連動日記〜   PROFILE=プロフィールABOUT=当ブログについてLINK=リンク


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 1980(2009)年 2月14日 木(土)曜 <ウォーホリック日記>

アンディはデュッセルドルフに移動(この日かどうかは知らないけれど)。

やはりポートレートを作るため、ドイツ人の精肉業者のポラロイド写真を撮りに出かけた。会社の建物にはアンディの作品である『豚』が掛けられていた。

「彼(その精肉業者)は美術品をたくさん買いこんでいる。そうすると人々はハッピーになって、いっそうソーセージが売れるんだそうだ」

そんなわけない。

僕は夜、池袋で海里の友人の徳留隼人氏を囲む会に参加する。

彼はつい半月前、9ヶ月間の自転車の旅を終えたばかりだった。GPSの機能を使って、アメリカ大陸に「PEACE」の文字を書いた。僕は初対面だったけれど、そのプロジェクトの意味を早速尋ねた。すると、彼はそれは社会的行動ではなく個人的行動だったと言った。

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 1980(2009)年 2月11日 月(水)曜 <ウォーホリック日記>

アンディはこの日もポートレート制作@チューリッヒ。今度は夫婦の絵を描かなければいけなかった。

妻はすごい美人で、アンディはメイクもいらないぐらいだと思った。なのに、肥満夫は妻に向かって不細工だと言い張る。

前日に続いて、アンディはスイス人について学ぶことになる。同行していたトーマス・アンマンによると「スイス人は妻を甘やかさない、なぜなら、妻がいい気になると困るからだ」。本当かどうか知らないけれど。

僕は、フィッツジェラルドの短編『ベンジャミン・バトン』を読む。先週末からブラッド・ピット主演で映画が公開されていて、特にその映画を観たいとは思わないけれど、おそらく映画を機に翻訳されたんだろう小説の方は目を通しておこうと。

『グレート・ギャツビー』とか『バビロンに帰る』とかそういった作品に比べると、異色に感じたけれど、それは日本人が前者のような美しい小説ばかりを翻訳しているだけかもしれない。ベンジャミンはいわゆるおとぎ話だ。ただ、教訓はおそらく、ない。

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 1980(2009)年 2月10日 日(火)曜 <ウォーホリック日記>

アンディはチューリッヒへ。現地の画商ブルーノ・ビショフバーガーが手配したポートレートの仕事をしに小さな家に出向く。

アンディの印象はこう。「みんなコーデュロイのズボンにくたびれたシャツを着ていた。(略)ジュースが欲しいというと、缶ジュースが出された。(略)その家には金目のものは一つもなかった。(略)ポートレートをただにしてあげたくなった」

すると、ブルーノが釘をさす。「スイス人がわかっていない(略)。スイス人は全財産を隠しもっている」と。

僕は午後、太宰府からやってきた巫女と会う。

僕の印象だと巫女というのは実は普通の女性で、巫女の衣装を着ると巫女になるという感じ。けれど、太宰府の巫女となると話は違うかもしれない。いや、分からない。というか、結構どうでもいい。

先週月曜に坊やが9度4分の熱を出したから夜間診療所に連れて行った。昨日もおなかがゆるくて小児科で下痢止めをもらった。

なかなか調子が上がってこないけれど、保育園には預けている。呼ばれれば迎えに行くというスタンスだ。

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 1980(2009)年 2月4日 月(水)曜 <ウォーホリック日記>

午前十一時半、アンディは急いでオフィスへ。ジーン・ケネディ・スミス(ジョン・F・ケネディの妹)とケリー・ケネディ(同姪)がテッド・ケネディ(同弟)の選挙ポスターを取りに来るからだ。アンディは選挙ポスターまで受注していたのだろうか。

僕は今日は彼女の誕生日だったので、魚料理を作った。味は悪くなかったけれど、身があまりなかった。

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 サイン <写真>

サイン(090630101906・文春文庫ウォーホル日記上161p)2

サイン(090630101906・文春文庫ウォーホル日記上161p)

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 1980(2009)年 2月1日 金(日)曜日 <ウォーホリック日記>

アンディはダイアン・フォン・ファーステンバーグ家で開かれたバリー・ディラーの誕生日パーティーへ。キャサリンとトルーマン・カポーティを途中で拾った。

トルーマンの登場は久しぶりだ。日記で触れていないだけでなく、そもそも最近あまり会っていなかったのかもしれない。長いけれど、アンディはこんな風に言っている。

「トルーマンはまったく別人になったみたいだ。よそよそしくてとっつきにくい。<インタビュー>の四月号のために何か書いたという。会話を録音しようとしたが、彼はほとんどしゃべらなかった。なんだか変で、宇宙人みたいな感じだった――ボディ・スナッチャーだ――外見は同じだけど、中身が違っている。それに、老けて見える。体重が増えたか減ったかしたんだろうが、自分がどう見えるかなんて考えていない。どうしたんだろう」

僕は三十日に起きた事件を気にしながらも、出動要請もないのでじっとして過ごす。

読売文学賞が発表されて、黒川創の『かもめの日』が受賞した。ずいぶん前に雑誌で二、三行読んで、放っていた。何かの文芸欄で誰かが褒めていたからそのうち読もうと思っていたのに、いつの間にか雑誌を捨ててしまっていた。

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 1980(2009)年 1月31日 木(土)曜日 <ウォーホリック日記>

アンディは演劇鑑賞。

誰か:ジャスパー・ジョーンズの絵なんかどうして壁にかけておけるんだ?
大男:くだらないアンディ・ウォーホルよりはまだましだよ。

こんなくだりがあって、観客たちはこぞってアンディの方を振り返ったって。もちろん、彼はこのできごとを喜んでいる。

僕は担当エリアで殺しがあったから、昨晩は夜遅く呼び出されて深夜まで警察署に詰めた。今日は帳場が立つっていうんで会見。新しい一課長の顔をおがむ。

まあ、今となってはあくまでお手伝いだ。

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 1980(2009)年 1月28日 月(水)曜日 <ウォーホリック日記>

アンディの日記としてはめずらしく、若干季節感のある書き出し。

「目が覚めたら、いかにもニューヨークらしいぴりっとした寒さの日だった。家で仕事をし、電話を何本かかけた」

このまま家の中で一日が終わるのかなと思ったら、けっきょくは「アンダーグラウンド」ディスコがどうのこうの。いつも通りだ。

僕は、朝から坊やを小児科に連れて行き、吸入させる。鼻水がひどいとかで、いつもとは違うステロイド系の薬だった。

実家に預け、夕方にも吸入させようと早く仕事を切り上げると、ぐっすり寝ていたのでそのままにしておいた。

彼女は十時過ぎに帰ってきた。上司ともめたらしく、同僚がぐちを聞いてくれたらしい。ずいぶん精神不安定になっている。めずらしいことだ。僕の家での受け答えが悪いせいかもしれない。

根暗は僕一人で十分だ。

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 1980(2009)年 1月26日 土(月)曜日 <ウォーホリック日記>

アンディはコラムニストの「スージー」を誘ってパーティーへ。

歩いていこうと提案すると、彼女は「『歩く』ってどういう意味?」って返してきた。アンディを終日振り回すことになったこのコラムニストが何者なのかはよく知らない。

僕は昨日、新宿のドトールで小林さんの録音。物事はあまり進捗していないという内容だった。

今日は朝から寺の防災訓練を見学。消防の連中が一斉放水すると、ちらりと虹が出て、あとは屋根から水がだらだらと垂れ落ちるだけだった。

夜、坊やの胸の音が気になる。

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 1980(2009)年 1月24日 木(土)曜日 <ウォーホリック日記>

アンディのところにウィリアム・バロウズがヴィクター・ボクリスを連れてやってくる。

僕はyoutubeでアンディとバロウズがチェルシーホテルで食事をしているところの映像を見たことがある。アンディがサインをもらって、興奮しているやつだ。

「WARHOL BURROUGHS NICO - CHELSEA HOTEL - 1980」とあるから、この年に撮影されたんだろう。注意深く日記を追っていれば、アンディはこのことに言及するかもしれない。

ちなみに、バロウズが連れてきたヴィクター・ボクリスは、後に『ビート・パンクス』という本を出版する。アンディやバロウズらのインタビュー集だ。

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